先日、『片思い世界』という映画を観ました。
あまり期待せずに観にいったのですが、予想を裏切るいい作品でグッとくるものがありました。今日はこの映画を通して感じたことを、自分なりの視点で綴ってみたいと思います。
※以下ネタバレを含むのでネタバレされたくない方はブラウザバック推奨です。
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準備はいいですか。ではいきましょう。
幽霊になった少女たち
物語の主人公は、20歳前後の女性3人、美咲、優花、さくらです。彼女たちは少女時代から十数年もの間ひとつの家で共同で暮らしています。未成年3人が一緒に住むとは・・・?奇妙に思えたこの設定ですが、のちに真実が明らかになります。
というのも彼女たちは“幽霊”だったのです。かつては少年少女合唱団のメンバーでしたが、そこで発生した無差別殺人事件に巻き込まれて3人は命を落としました。時は流れて大人の姿になっている3人ですが、彼女らが幽霊として現実世界で暮らし成長していたのです。
彼女らは生者との接触はできません。けれど、その姿はどこか温かく共に暮らす日々は明るく楽しく描かれています。
現実との再接続――交信という希望
ストーリーが進む中で、彼女たちは「大切な人との思いを交わすことができれば、現世に戻れるかもしれない」という希望を手にします。そこで描かれたのは、現実世界での残酷な時の流れと、それに伴う人々の変化です。
かつて親しかった人々はそれぞれの形で事件を受け止め、ある者は前を向き、ある者は今なお過去に囚われています。
幽霊の少女たちは、彼らの姿を見つめ、時に励まされたり、時に胸を痛めたりするのです。
とりわけ印象に残ったのは、優花の母親の姿でした。彼女は花屋で働き、一見穏やかに暮らしているようでいて、実は今もなお事件の影を抱えて生きています。後半に母が加害者に会いに行くシーンがありますが、深い痛みがにじみ出ていて涙なしでは見られなかったです。
普通に暮らしている「喪った人」
この映画に登場するのは、加害者、被害者、遺された人々、すべてが「何かを喪った」人たちです。興味深いのは、彼らの多くが一見普通で、外から見ると「幸せそう」にすら見えるという点です。
たとえば主人公の3人は楽しそうに毎日を過ごしています。しかしながら楽しそうに過ごせば過ごすほど、(現実世界に影響を与えることができず透明人間にすぎない)という残酷な真実が際立ってきます。
先述した優花の母も再婚して子宝に恵まれます。夫と子どもと日々暮らす姿は一見して幸せそうです。しかしながら、彼女は事件から十年以上が経ってもなおその傷とともに生き続けているのです。
本作はそれを非常に抑制的な演出で、私たちに訴えかけてきます。
心に傷を抱えた人はメンタルもってかれるかも・・・
正直なところ、私はこの映画を比較的冷静な視点で観ることができました。きっと、今の自分の暮らしが、平穏で安定しているからでしょう。
けれど、もし自分がこの登場人物たちのように突然日常を奪われた立場だったら、ここまで客観的ではいられなかったはずです。
作中の彼ら彼女らの姿は決して悲嘆した姿ではなく、むしろ普段は明るく描かれてます。
しかし時々、悲しみに溢れる描写があり、それが普段とのギャップとなって強烈に心に来るのです。
物語のラストで、幽霊の少女たちが現役の合唱団とともに歌う場面があります。生者と死者が混ざって合唱するこのシーン。音楽の良さも相まって魂をゆさぶられるものがありました。
実際映画館内でも結構すすり泣きの音が聞こえてきて感動している人が多かったです。
おわりにー過去に囚われて生きる人に思いを馳せて
『片思い世界』は、過去の不幸を抱えた人生のなかでも頑張って生きていくことで希望を見いだすことができることを描いています。
そういった姿を見て、逆説的ですが、私自身、「自分の平凡な日々がいかに幸せであるか」を再実感しました。
子供が生まれたり仕事でいろいろとあったりと、慌ただしく落ち着かない日々を過ごしています。正直理想の暮らしとは程遠いです。キラキラもしていません。ですが、幸いなことに暗い過去に引きずられることなく未来に希望を持ちながら前向きに生きることができています。
この映画を観て(そういう希望を持って生きられる人ばかりではないんだぞ)ということを改めて実感し、自分の身の周りにある平凡な日々に感謝したいと思うのでした。
観る人を選ぶ作品ではありますが、響く人にはとことん響く作品だと思います。
今日は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。