先日Amazon primeでこの映画を観ました。
「君の名は」で大ヒットした新海誠監督の新作です。この作品、新海誠監督の集大成といってもいいくらい、素晴らしい作品だと思いました。今日はこの映画について語っていきたいと思います。
以降、壮大なネタバレを含むのでネタバレが嫌な方はブラウザバック推奨です。
覚悟はいいですか。ではいきましょう。
すずめの戸締りのストーリー
最初から盛大にネタバレしますが、ざっくりと本作のストーリーを振り返ります。
- 鈴芽(すずめ)が要石を抜く
- 草太(椅子)と一緒に閉じ師の仕事をする(宮崎、愛媛、神戸、東京)
- 草太が要石になって東京の大地震を防ぐ
- すずめが芹沢や環、ダイジンらとすずめの過去の実家(岩手?)に向かう
- すずめが常世に入り、草太を解放しようとする
- 幼少時のすずめと出会い、現世に幼少時のすずめを返す
- すずめが扉を閉じる〜フィナーレ(以下finと略)
- (エンドロール中)すずめと草太が芹沢らのもとへ帰還
- エンドロール終了
秀逸なエンディング|複数の解釈が可能に
この映画の秀逸なところ。それはfinを入れるタイミングです。
どういうことかというと、本編を「〜fin」までと観るか「〜エンドロール終了」までと観るかで解釈が一変するのです。鈴芽が無事に現世に帰還できたのか否かが、どちらを取るかではっきりと分かれるのです。
これだけだと、ほとんどの方が???だと思うので、もう少し具体的に説明します。
すずめは常世の住人になった(=死亡した)のでは?
ここからはあくまで僕の解釈ですが、この作品はあくまで「〜fin 」までが本編です。エンドロールの映像はあくまで想像の世界でイメージ映像にすぎないと考えます。
(つまり、本編を「〜finまで」と観る考え方です。この考え方は2023年10月時点私のみなので、あくまで私の妄想として聞いていただければと思います。あと以降の仮説はすべて私のオリジナルなので勝手なパクリ厳禁です!引用してくださいね)
本作を「〜finまで」とする解釈に立った場合、鈴芽は現世に帰還できていません。鈴芽と草太はあくまで常世のままです。つまり、現世に帰還することなく、常世の住人として2人仲良くすごしたという結論になるのです。
この仮説を裏付ける証拠も何個かあります。
一つが現世への帰還をあくまでとfin以降にしていること。通常であれば現世帰還後にfinを迎えるはずのところ、現世帰還前にfinを差し込んでいるのは明らかな意図を感じます。
もう一つが本編の最終場面。最終場面では鈴芽は現世に戻って扉を閉めているのではなく、あくまで常世から扉を閉めてフィナーレを迎えています。つまり、草太と鈴芽は常世で生き続けることを選択したとも解釈できるわけです。
ただし、この解釈はあくまで異端の考えです。
一般的には映画は「〜エンドロール終了」までが本編と考えますから、通常の解釈に立てば草太と鈴芽は無事に現世に帰還できています。
常世から扉を閉じた場合どうなるかは本作品では解説されていないので、いかようにも解釈は可能です。つまり無事に現世に帰還したと考えても違和感ないですし、エンドロールで流れている各キャラのその後のような映像も、決して違和感のない映像です。
つまり、普通に考えれば鈴芽が草太を救って現世に戻ってハッピーエンド、めでたしめでたしと解釈できる一方で、あえて穿った見方をすれば、鈴芽は草太とともに常世に住み続けた(=死亡した)とも解釈できるのです。
そう。この作品は非常に緻密な仕掛けをすることによって、作品の結末を180度変えることに成功している稀有な作品なのです。
過去の反省を生かした作品
なぜ私がこのような穿った解釈をするか。それは新海誠の過去を振り返る必要があります。
ここで最近の新海誠の軌跡を振り返ってみましょう。
- 君の名は。
- 天気の子
- すずめの戸締まり
ここから先は「君の名は」「天気の子」のネタバレも含みます。
ご存知の通り、新海誠は「君の名は。」で一躍脚光を浴び、揺るぎない名声を手にしました。しかしながら、一転「天気の子」は賛否分かれる作品で、世間に評価されることはそれほどありませんでした。
それはなぜか?
要因はいろいろとあるかと思いますが、あえて述べれば「天気の子は新海誠が突っ走って観客を置き去りにした作品だったから」ということができるのではないでしょうか。
私の「天気の子」の考察はこちら
「君の名は。」は新海誠色を抑えた作品、「天気の子」では新海誠色全開の作品と僕は考えています。「天気の子」のほうが評価されるべき(評価してほしい)作品だと思いますが、「天気の子」の主人公は突飛で共感されずらいキャラであったため、残念ながら世間的には共感を集めることができませんでした。
なので、その反省を生かして、本作では共感しやすい普通の少女「鈴芽」が主人公として選ばれたというわけです。
また、「天気の子」が受けなかったもうひとつの要因として、「世界に雨が降り続けることと引き換えに主人公がヒロインを連れ戻す」というバッドエンドにもありました。この結論を「そんな恣意的なエンディングは認められない」「意味がわからない」と不評を買ったのです。
そこで、本作では工夫を凝らします。
つまり一般的にはハッピーエンドとして解釈させる一方で、バッドエンドとしても解釈できる解釈の余地を残し、結論をどのように解釈するかは各個人に委ねるという方法を取ったのです。
これによって、興行作品として受け入れられる(ハッピーエンドの)作品にしつつも、もうひとつのメッセージ(バッドエンド)を一部の人にも届けることを可能にしたのです。
ちなみに鈴芽が常世に留まることを「バッドエンド」と表現していますが、あくまで対立構造をわかりやすくするための便宜的な表現です。厳密に言えばバッドエンドではないどころか、すずめは草太と常世で過ごすことができるのですからむしろハッピーエンドでしょう。
現世に戻ること、常世で過ごし続けること、どちらのほうがハッピーエンドかは観客の想像に委ねるというわけです。
おわりに
以上、僕の「すずめの戸締まり」評でした。
今回の作品を観て、「新海誠は作品のたびに過去の反省を生かし、進化している」と感じました。
セカイ系作品が好きな僕にとっては新海誠が完全に大衆に迎合することなく、自身のメッセージを貫いてくれていることに感謝したいと思います。
「天気の子」と同様に、「聞こえる人には聞こえる」犬笛のような作品ですね。それにしても新海誠はすごい監督だとあらためて思いました。
以上、考察でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。