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映画レビュー 人生

【ネタバレ有】エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスを観た感想

先日この映画を観てきました。

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

2023年アカデミー賞受賞作です。

個人的にはすごく面白かった一方でアカデミー賞受賞作としてはどうなの?という疑問を持たざる得ない作品でした。

今日はこの映画の感想と考察をしていきたいと思います。

以下、盛大なネタバレを含むので見たくない方はブラウザバック推奨です!!

 

 

 

 

 

覚悟はいいですか?

それでは行きましょう!

本作のあらすじ

主人公は中国系米国人の中年女性エヴリンです。コインランドリーを営む優しい夫、レズビアンでアウトローな娘と一緒に暮らしています。

 

エヴリンは日々をコインランドリーで働きながら祖父を介護して慌ただしく過ごしてましたが、突然異世界の人間が夫を乗っ取って「世界を救うために一肌脱いで欲しい」と依頼されます。最初は事態をまったく受け入れられないエヴリンでしたが、戦いに巻き込まれ徐々に事態を理解していくのでした。

 

マトリックス+エヴァ

本作は色々な映画のオマージュが入ってますが、ここでは構造(思想)面に絞って解説します。

本作の構造はズバリ言うと「マトリックス+エヴァンゲリオン」です。

少し専門的なことを話すとマトリックスでも導入された「ラカンの3界」の要素が本作でも取り入れられています。

ラカンの三界について教えて。

ラカンの三界ってのは、人間の心の中にある三つの領域のことだよ。

まず一つ目が、「想像界」。これは、赤ちゃんの頃に形成される「自己像」の領域で、自己と他者の区別がつかない時期にできるものだよ。つまり、自己像の中には「自分」と「他人」という区別がないんだ。

次に、二つ目が「象徴界」。これは、言葉や記号によって構成される領域で、自己と他者の区別ができるようになる領域だよ。つまり、言葉や記号によって、自分と他人との区別を理解することができるようになるんだ。

そして、最後に三つ目が「現実界」。これは、言葉や記号では表現できない現実そのものの領域だよ。つまり、言葉や記号では表現しきれない、現実そのものを直接的に経験することができる領域だね。

 

ChatGPTの解説がわかりにくいのであらためて説明します。

「想像界」は文字通り想像上の世界です。想像上の世界なのでなんでもありなように見せかけて、想像できないものは存在しないという一面もあります。

余談ですが、マトリックスでは想像界で想像したものが現実に起きると強く願えば想像通りになると描かれていました。本作の場合はパラレルワールドへ行き、想像できるようになるとその達人的なワザを取得できるものとして描かれます。

「現実界」は現実世界そのものです。あくまで事象の世界です。人間という肉体が歩く。これが現実界です。解釈が入り込む余地は一切ありません。

最後の「象徴界」は世界を動かしているコード(真理)みたいなものです。。たとえば「1+1=2」みたいな世界共通のものから「ピロリ菌に感染していると胃がんになりやすい」というような知る人ぞ知るもの、はたまた、いまだ人間が認識していない真理もあります。そして、それらの世界を裏から動かしているルールみたいなものが「象徴界」です。

ちなみに作品で異世界から助けを求められたのは「象徴界の秩序がベーグル(ドーナツみたいなアレです、詳細後述します)によって乱れてしまった」のが原因でした。秩序をもとに戻してもらおうとエヴリンは助けを求められたのです。

 

ベーグル=人類補完計画

また本作はエヴァンゲリオンの影響も強く受けていると思われます。

キーワードは梵我一如ブラフマンとアートマンです。

梵我一如について小学生でもわかるように解説して。

「梵我一如」とは、仏教用語で、サンスクリット語で「ブラフマン=アートマン=一体化」という意味があります。これは、宇宙や人間に内在する根源的な存在である「梵(ブラフマン)」と、人間の内面にある根源的な自己である「我(アートマン)」が、実は本質的に同じものであるという教えです。

これを簡単に説明すると、自分と他人や物事との分け隔てがなく、全てが一つであるということを表しています。例えば、大きな海というものがありますが、その海には波があります。波はそれぞれ違う形をしていますが、全てが海の一部であるということができます。同じように、私たち人間も、見かけ上は別々の存在に見えますが、実は全てがつながっていて、根源的な存在である「梵(ブラフマン)」と一体化しているという考え方です。

 

ChatGPTの解説が相変わらずわかりにくかったので補足します。笑

仏教では生命の源があると考えます。まあ、マグマのようなものをイメージされるといいかと思います。(これがブラフマン

では我々は何でしょうか?

それはマグマからこぼれ出た一滴の雫(しずく)です。人間なんて生命の源からみればマグマの一滴に過ぎません。だから我々は弱く儚い存在ですし、いずれ死が訪れます。(これがアートマン

少し誤解されそうなので先回りして説明すると、動物も植物も人間もみんな生命の源は一緒です。大元の生命の源があって、そこから一滴が抽出された、それが動物なのか植物なのか人間なのかわからないけど、ひとつの命が生まれると考えます。

仏教ではこのように生命について考えます。

そして、我々が脆く弱く不完全なのは一滴の雫だからです。だからすべての生命の源に還ろう、という動きがあります。
それは生命からすれば死を意味しますが、マグマから見れば帰還ということになります。こぼれ出た一滴が元に戻ったにすぎないわけです。

本作に置き換えて説明するとこの生命の源(ブラフマン)の象徴としてベーグルが描かれます。ここが本作の非常にユニークなところですね。

ちなみにエヴァンゲリオンの場合、生命の源に還ろうとする運動が人類補完計画です。だからベーグル=人類補完計画ですね。

もう少し言えば碇ゲンドウ=娘です。笑

そして最後は主人公が聖母のような全てを悟った姿になってそれぞれの人生を肯定してあげることでハッピーエンドとして描かれました。

これは要するに個々の生命(アートマン)を肯定しようということですね。

アニメ版エヴァンゲリオンの伝説の最終回「おめでとう」に近いハッピーエンドで締め括られるのでした。

 

分断主義が加速している世界で

大半の人には受け入れられない作品

最後に感想です。

僕は正直、この映画を楽しめました。

というのもマトリックスもエヴァンゲリオンも両方とも履修済みのオタクだからです。言い換えればセカイ系パラレルワールド系が好きな人(オタク)にとっては楽しめると思います。

実はセカイ系やパラレルワールド系が好きな人にとってはこの作品は革新性があります。ラカンの3界と梵我一如をまとめて一作にしたことは独創的な視点でして、ここが革新的です。

そういうのをオタクが寸評するのはいいんです。

しかしながら、それ以外の人は置いてきぼりになる作品です。そして、あまりに現実からぶっ飛んでいて訳がわからない作品なのです。

何より問題だと思うのはこの映画がアカデミー賞受賞作であるという事実です。

当然アカデミー賞審査員は全部わかった上で講評していることでしょう。

その講評は一般人を置き去りにしていないか?

と強く警告したいです。なんでこの作品がアカデミー賞なのかという声が出るのはもっともだと思います。

一般市民を置き去りにしたアカデミー賞

世界は今大きな分断を抱えています。それはロシアVSウクライナのような国対国の争いだけでなく、富裕層VS庶民やインテリVSマイルドヤンキーのような内部での分断も進んでいます。

そういう世界に置いて一般人を置いてけぼりにした作品を作るまではいいとしても、アカデミー大賞とするのはいかがなものでしょうか。

繰り返しになりますが、僕はその点に強い違和感を持ちました。

実は同じような構造でも評価されなかった人物がいます。

それは新海誠です。

新海誠の出世作「君の名は。」と、その次の作品「天気の子」の関係がこのことを端的に表しています。

「君の名は。」は若干セカイ系の要素はあるもののライトでだれもが楽しめる作品です。一方で「天気の子」はセカイ系全開の作品のため、賛否がはっきりわかれる作品になってしまいました。

その評価として「君の名は」は世界中で大ヒットした一方、「天気の子」はイマイチでした。
各国の賞レースでも同じ評価だったと記憶しています。

このように、オタクにはウケるけど一般人を置いてきぼりにする作品は評価されずらい、そういう構造がありました。

僕は新海誠に対する評価のほうが包摂的できわめて適切な評価だと思います。

そんなことを感じました。今日は以上です。

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